古清水文彦という人

祖父と父から受け継いだ
独立独歩の精神。

 私の実家は、佐久甲州街道の通り道である長野県南佐久郡小海町にあります。小海町には古清水(こしみず)姓の人が何人も住んでいます。 古清水姓は、元を辿れば武田信玄の家臣の輿水(こしみず)に由来するのだとか。
 私は古清水の六代目。四代目の祖父は、荒れ果てた家の基盤を一人で立て直し、農業を営んでいました。父も保険代理店を経営していましたし、今思えば、独立独歩で仕事をする姿勢は、祖父や父から自然と受け継いだようです。
 大学在学中も、できるだけ親からの援助を受けないようにしようと、新聞奨学生をはじめとしてさまざまなアルバイトを経験しました。ですから就職活動の時に、「サラリーマンで終わるか、事業家になるか?」というキャッチフレーズが目に飛び込んできたのは自然な流れだったのかもしれません。

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きっかけはニューヨーク在住の
コンサルタントとの出会い。

 そのキャッチフレーズに導かれるように、私はコンサルティング会社に入社しました。コンサルタントという職業を知ったのは、大学三年生の春、ニューヨーク旅行でのことでした。大学の先生に紹介されてニューヨークの五番街で会った日本人の方が、ロックフェラー・センターのコンサルティングをしておられたのです。

 その方は当時60歳位。初めて出会った「コンサルタント」は、背が低く、決して“イケメン”でなかったのですが、物腰の柔らかい素敵な方でした。この時点ではまだ、コンサルタントの具体的な仕事内容はまったくわかりませんでしたが、“どうやらかっこいい仕事のようだ”と単純に憧れました。

 東京に戻ってからこの仕事を調べ、先ほどのキャッチフレーズを掲げたコンサルティング会社の会社説明会に参加しました。すると、壇上でお話をしていた方が、ニューヨークで出会ったコンサルタントと同じ雰囲気を持っていたのです。この方と仕事をしたい!直感でそう思いました。二人のベテランコンサルタントとの出会いが、いまにつながる仕事の起点になったのです。

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経営支援、組織・人事戦略、
得たものすべてがいまの財産。

 最初に入社したコンサルティング会社は、中堅・中小企業の発展を支援するととともに、自社を「企業家輩出機関」と位置づけている会社でした。新入社員の私は、念願叶って会社説明会の壇上にいた専務取締役の下に配属され、新卒採用や社内の改善プロジェクト事務局などを経験しました。若い頃に専務や社長の傍で仕事を見聞したことは、得難い経験として自分の中に仕事の種をまいてくれた気がしています。
 その後、歯科医院経営の支援を中心とするコンサルティング部門に異動し、支援先開拓の営業活動からコンサルティングまでを経験しました。歯科医院経営のコンサルティングでは、戦略、マーケティング、人材教育、労務、CS活動、コスト削減、計数管理など、経営の諸機能を一通り扱いました。零細企業ですから担当部署などありませんので、経営者である院長・理事長と一緒にあらゆるテーマに取り組みました。歯科医院のような規模の小さな企業では、業績が低下するとすぐに経営者の生活に大きな打撃を与えます。
 駆け出しコンサルタント時代に、業績を上げる重要性を肌で感じることができる環境に身を置いたことが、その後の私に大きな影響を与えてくれました。「このままでは、毎月の借入金返済ができない。幼い子供の将来も見えない。何とか助けて欲しい」と、院長と奥様からじっと見つめられたときのことが忘れられません。この医院では、2年後に売上高を支援前の1.5倍にすることができました。
 その後転職し、リスクマネジメント会社で教育事業を統括した後に、組織・人事戦略コンサルティング会社で、大手企業からベンチャー企業まで多種多様な企業の組織・人事コンサルティングに従事しました。この会社では取締役と子会社社長も務めました。
 これまでの経験は、すべてが今の私の糧となっています。関わってくださった多くの方々に本当に感謝しています。

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本来の意味での「コンサルターレ」でありたい。

 コンサルタントというと、クールでロジカル、どこか胡散臭い。就職活動の際、とある会社で「狐猿沢山=コンサルタント」という話を聞いたことがありますが、まさにそんなイメージを持つ方も少なくないと思います。
 でも「コンサルタント」の語源であるラテン語の「consultāre」は、「共に座して協議する」という意味だそうです。私はこの「共に座す」という点を大切にしています。日本語には「同じ釜の飯を食う」というすばらしいたとえがありますが、親しい仲間であり、それでいて他の視点も持つ第三者として、共に座して一緒に取り組みたい。それが私の考えるコンサルタントのあり方です。ですから、社名にもパートナーという語句を用いたのです。まず、共に座して語りあいましょう。スタートはそこからです。

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上司との交換日記で学んだ仕事観。

 企業の人材育成や人事制度の構築というプロジェクトに数多く携わっていますが、常に新人の頃に上司から授けていただいた「仕事観」に立ち返って考えるようにしています。
 新入社員だった当時、上司である専務取締役は関西にある本社勤務で、東京勤務の私は一人離れ小島。上司不在のまま目の前の仕事に埋没していました。そんな時、上司から交換日記をするようにという指示がありました。今でしたら電子メールなのでしょうが、当時のことですから、ノートを用意して本社と東京支社との間の社内便でやりとりをしていました。「業務報告ではなく好きなことを書け」というのが上司の指示でした。実際その指示通りに、日々の仕事の不満や同期との比較を書き連ねただけの内容でしたが(笑)。
 上司は忙しさに心を失いつつあった新入社員の私に、交換日記という心のつながりの機会をつくってくれたんですね。そして「他人と比較する前に、自分で考えて、良い仕事、正しい仕事をするように集中しなさい」という一番大事なことを教えてくれました。

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人と企業を、企業と企業をつなぐ。
大切にしたいのは「つながり」。

 私は、ずっとクライアントに恵まれてきました。長いおつきあいの会社も多くあります。すばらしい経営陣と管理職の方々と一緒に仕事をすることができましたし、本当にありがたいことです。
 仕事でよく言うのは、「点で考えないで、線というつながりで考えよう」ということです。ひとつの仕事はつながっていて、人、組織、社会もまた密接につながっています。私自身、今後は恵まれたネットワークをさらに発展させて、社会との関わりという面で動いていきたいと考えています。
 たとえば、より良いものを生み出すために企業と企業とを結びつけるマッチング、ビジネスのアイデアを考えるための交流の場のコーディネイトなど、企業と企業とをつないで社会貢献をしていくための、橋渡し的な役割を担うところまで動けるようになりたいと願っています。

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PROFILE

古清水文彦(こしみずふみひこ)
1968年3月21日 長野県生まれ 
埼玉県志木市在住 妻・子(一男一女)

経歴

1991年 株式会社日本エル・シー・エー入社

新卒採用、社内改革事務局を担当した後、歯科医院経営を主たる対象とした経営コンサルティング(経営計画、マーケティング、人材教育、CS、計数管理など)に従事。

1997年 株式会社日本アルマック入社

リスクマネジメント研修、リスクコンサルタント養成講座等の企画・営業・コンテンツ開発・運営改善に従事。

2000年 株式会社日本経営システム研究所

企業・団体に対する人事戦略策定・人事制度構築・マネジメント改革・管理職研修などの組織強化支援に従事。
在職中、取締役、子会社社長を歴任。

2007年 株式会社ベリーパートナー設立 代表取締役に就任

経営支援企業数

累計100社以上

研修実施回数

累計200件以上

主要著書

「賃金マネジメント」

(共著・UFJ総合研究所/2002~2005年)

「総額人件費管理の実務Q&A」

(寄稿・賃金実務 産労総合研究所/2004年)

「成果主義で業績を上げる」

(寄稿・東商新聞 東京商工会議所/2005年)

「業績運動型賞与制度における業績指標の設定と運用の勘所」

(寄稿・人事実務 産労総合研究所/2007年)

「フィットネス事業の組織強化を考える」

(寄稿・司電子様ホームページ/2007年)

「もっと強い組織になるための15の観点」

(寄稿・平川会計パートナーズ様ホームページ/2008年)